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「不幸の手紙」の話をします。

 2017年3月11日に天理大学にて開催される「考古学・民俗学フォーラム モノと図像から探る怪異・妖怪の東西」にて、「手紙が伝える怪異ー不幸の手紙の進化論」と題して話します。1970年に爆発的な大流行をした「不幸の手紙」。その歴史は何と大正時代にまでさかのぼることができます。そして現在、ネットの世界ではチェーンメールが広まっています。世にも奇怪な「不幸の手紙」とはいったい何なのかについて、進化の過程をたどりながら考察します。

フォーラムで講演をします

前回の記事からだいぶ間があきました。

私の仕事と生活も大きく変わり、今年度から奈良県にある天理大学文学部歴史文化学科考古学・民俗学専攻にて教員をしています。

さて、今回は9月24日に弘前大学にて開催されるフォーラムのご案内です。

 

平成28年度地域未来創生センターフォーラム
市民と文化財「博物館的想像力 渋沢敬三今和次郎 -民具学・考現学青森県-」

日 程: 平成28年9月24日(土)  13:00~16:30

場 所: 弘前大学人文社会科学部 多目的ホール

主 催: 弘前大学 人文社会科学部 地域未来創生センター

後 援: 青森県教育委員会弘前市教育委員会三沢市教育委員会東奥日報社      株式会社陸奥新報社、デーリー東北新聞社

対 象: 100名 参加料: 無料

申込み: 不要・当日の参加が可能

問い合わせ先: 弘前大学 人文社会科学部 地域未来創生センター 

プログラム

 司会 渡辺麻里子(弘前大学人文社会科学部教授)

  13:00~13:10 開会の挨拶 弘前大学 副理事 曽我 亨

 第1部

  13:15~14:15 (特別講演)天理大学文学部 准教授 丸山 泰明

 第2部

  14:30~16:05 県内博物館関係者によるご報告

  16:05~16:20 市民と語る

  16:20~16:30 閉会の挨拶 弘前大学人文社会科学部 教授 渡辺 麻里子

 

詳細は下記にてご確認ください。

http://www.hirosaki-u.ac.jp/23229.html

私は「渋沢敬三今和次郎—博物館的想像力の近代と青森」と題して講演をします。

渋沢敬三は、青森県にかつて存在した小川原湖民俗博物館や十和田湖科学博物館の設立のきっかけをつくった人物です。渋沢は大蔵大臣もつとめた財界人であるとともに深い学識を持っていましたが、その思考の根底には中学生の時の少年博物学者の日々がありました。一方、青森県出身の今和次郎は民家研究や考現学で有名ですが、今が民俗博物館に関心を持ち民家の展示を作っていたことはあまり知られていません。講演では「博物館的想像力」という言葉をキーワードにして、友人関係であった渋沢と今が、なぜ民具や民家といった生活文化を収集・観察し、そして展示によってどのようなメッセージを伝えようとしたのかについて考え、現代における博物館の意義について問い直します。また、渋沢が仙台にあった第二高等学校の学生の時からたびたび訪れていた青森で見たもの、学んだことについてもご紹介します。

業務連絡

本日6月1日付で、国立公文書館アジア歴史資料センター調査員として勤務することになりました。

以後よろしくお願いします。

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拙著『渋沢敬三と今和次郎』の書評

拙著『渋沢敬三今和次郎ー博物館的想像力の近代』(青弓社、2013年)の書評が掲載されている『生涯学習・社会教育研究ジャーナル』第7号(生涯学習・社会教育促進機構)を、評者である文教大学の野島正也先生からご恵投いただきました。

ご高評いただき、誠にありがとうございます。

これで、拙著の書評は四つ目になります。

感謝の意を示しつつ、これまでの書評について以下に記しておきます。

 

現代民俗学会の研究会で発表をします

 2015年4月26日(予定)に開催される現代民俗学会第27回研究会で発表します。

現代民俗学会第27回研究会「生活のなかの感性と美学」

発表者:
 俵木悟(成城大学)「良い踊りの民俗誌―踊りの評価の文化的構成」
 丸山泰明(元国立歴史民俗博物館)「今和次郎と田園生活―造形の観察と実践の場としての郊外」
 横川公子(武庫川女子大学)「生活の中の手工芸における美と感性の力」
コーディネーター:俵木悟(成城大学


 発表要旨については、現代民俗学会のホームページに書いてあるので、ここでは内容の一部を少しだけ紹介します。
 発表では、今和次郎にまつわる「16」という数字をキーワードとして提示します。この数字、何を意味しているのかわかりますか?
 実はこの数字は、今和次郎が東京で住んだ家の数です。
 今和次郎は、1906年の18歳のときに一家で上京し、翌年に東京美術学校に入学します。そして1929年の41歳のとき、東京西郊外に家を建て、そこで生涯を過ごします。20年余りのあいだに15回も引越しをして、16回目でようやく腰を落ち着けているのです。平均すれば1年半ぐらいで次々と住まいを変えていたことになります。いくら戦前の東京では借家暮らしが一般的だったと言っても、この引っ越し回数は多すぎます。
 どうも今和次郎は引っ越しが大好きだったフシがあります。「引越する心」(『婦人之友』第20巻第4号、1926年)と題したエッセイは、引っ越し礼賛から始まります。

 引越は恵まれざる者(或は恵まれたる者)に与へられる一つのうれきし行動であります。所有に縁なきもの(或は新らしき所有に迎ふ)運命の者にとつて、仕事の移転、職業の移転、愛の移転、而して家の移転等は何れも同律にうれしき事だと言つて、来るべき希望を生かす忠実なる心を讃えるのを肯定せねばなりますまい。

 今和次郎がこの文章を書いていた時に住んでいたのは、吉祥寺の井之頭公園近くにある借家でした。関東大震災後、借家での仮住まいをへて、西荻窪に自ら設計した家を建てるのですが、その家も1年ほどで引き払って吉祥寺に引っ越します。しかも、吉祥寺ではもう一回引っ越しています。今和次郎は、自分の経験を踏まえて、と言い切ってしまっていいと思いますが、模様替えだけでは気が済まずに引越ししたくなってしまう心理について次のように述べています。

 下宿屋か寄宿舎にで居るとすると、自分の部屋は、その室内だけは自分自身の世界であり、その世界のうちに机を置き、本箱を置き、棚をならべて、それらで自分の使用する空間の刻みを作つてゐるのです。それらを並べるにあたつては、出入口と、窓或は障子と、押入の都合などで一旦決定されて、これでよからうと言つて汗を拭いて新たな気持ちで座つて見る、が、次の日になるとどつか多少変更したほうがより好都合だとの発見があり、更らに一週間経つて別の配置の方がより一層具合がいいとなつたりするのです。戸口や、窓や、壁などはそれらの度毎に微笑しますので主人公はいつも十分な共鳴者を得たと信ずるのです。〔中略〕
 でも一旦かくして納つたなりで安定し固定すればその主人公の運命はめでたしめでたしなのですが、病的?になりますと、これだけの常規のあがきばかりでは満足するわけに行かなくなるやうです。ぢれったさから更らに移転が促されて、空間の静さに抗争するのであります。抗争する心から工夫力が伸び、くだらぬ類の好奇心などが手伝つて、またまた机の方角の変更が要求され、新たに歓迎してくれると考えられる方向へ顔を向けなければ済まなくなるのであります。〔中略〕
 然し部屋の中の移転はまだ罪のない行為であります。他の部屋へ引越したくなる誘ひが次ぎに開発される順序になります。〔中略〕突発的にそんな欲が走り出ますと、荷物の厄介なことなどは問題でありません。その欲望、欲から出る勇気の前には何もなくなつてしまひます。而してすぐそこへ移つて新たなる限定空間のうちに自分自身の日常居住の場面を更らに新たに展開して行くのであります。

 居心地の良い暮らしのための都市を計画し建築やインテリアをデザインする営みを芸術活動というのならば、与えられた間取りという条件のなかで今ある持ち物を配置し、さらには住む場所を変えて居心地を良くしていく営みもまた生活のなかの芸術活動になります。
 今和次郎は民家研究や考現学で間取りや持ち物とその配置、住んでいる人が歩くルートや敷居をまたいだ回数を調査して記録しています。これらの調査について、今和次郎は無目的に調べていたのだという人がいますが、それはまったくの誤解でしょう。持ち物や間取りの調査記録を実施した目的には、良い建築を設計するためには住む人の生活の実態について知らなければならないとする造形論がありました。
 そしてまた、これらの調査記録を行った背景として、頻繁に引越しを繰り返す生活を送っていたことも考慮に入れる必要があるのではないでしょうか。
 つまり、今和次郎は他人の家の間取りと持ち物を調査し記録しながら、自分の家については引越しを繰り返して間取りと持ち物を更新していたのです。そして郊外に家を構えて落ち着いてからは、今度は家の増築を繰り返し、植物の成長とともに庭をつくっていくガーデニング生活を楽しむようになります。たえず住まいを少しずつ作り変えていくのです。それは民家を調査する際に着目してきた住民の「工夫力」を、自らも実践する営みでした。
 居心地の良い住まいを求めて引越しを繰り返していた今和次郎は、暮らしの観察者であるととも実験者でもありました。今回の発表では、今和次郎が美しく楽しい住まいをどのように考えていたのかについて、調査する場であり、また生活する場でもあった郊外に焦点を合わせてお話しします。