現代民俗学会の研究会で発表をします

 2015年4月26日(予定)に開催される現代民俗学会第27回研究会で発表します。

現代民俗学会第27回研究会「生活のなかの感性と美学」

発表者:
 俵木悟(成城大学)「良い踊りの民俗誌―踊りの評価の文化的構成」
 丸山泰明(元国立歴史民俗博物館)「今和次郎と田園生活―造形の観察と実践の場としての郊外」
 横川公子(武庫川女子大学)「生活の中の手工芸における美と感性の力」
コーディネーター:俵木悟(成城大学


 発表要旨については、現代民俗学会のホームページに書いてあるので、ここでは内容の一部を少しだけ紹介します。
 発表では、今和次郎にまつわる「16」という数字をキーワードとして提示します。この数字、何を意味しているのかわかりますか?
 実はこの数字は、今和次郎が東京で住んだ家の数です。
 今和次郎は、1906年の18歳のときに一家で上京し、翌年に東京美術学校に入学します。そして1929年の41歳のとき、東京西郊外に家を建て、そこで生涯を過ごします。20年余りのあいだに15回も引越しをして、16回目でようやく腰を落ち着けているのです。平均すれば1年半ぐらいで次々と住まいを変えていたことになります。いくら戦前の東京では借家暮らしが一般的だったと言っても、この引っ越し回数は多すぎます。
 どうも今和次郎は引っ越しが大好きだったフシがあります。「引越する心」(『婦人之友』第20巻第4号、1926年)と題したエッセイは、引っ越し礼賛から始まります。

 引越は恵まれざる者(或は恵まれたる者)に与へられる一つのうれきし行動であります。所有に縁なきもの(或は新らしき所有に迎ふ)運命の者にとつて、仕事の移転、職業の移転、愛の移転、而して家の移転等は何れも同律にうれしき事だと言つて、来るべき希望を生かす忠実なる心を讃えるのを肯定せねばなりますまい。

 今和次郎がこの文章を書いていた時に住んでいたのは、吉祥寺の井之頭公園近くにある借家でした。関東大震災後、借家での仮住まいをへて、西荻窪に自ら設計した家を建てるのですが、その家も1年ほどで引き払って吉祥寺に引っ越します。しかも、吉祥寺ではもう一回引っ越しています。今和次郎は、自分の経験を踏まえて、と言い切ってしまっていいと思いますが、模様替えだけでは気が済まずに引越ししたくなってしまう心理について次のように述べています。

 下宿屋か寄宿舎にで居るとすると、自分の部屋は、その室内だけは自分自身の世界であり、その世界のうちに机を置き、本箱を置き、棚をならべて、それらで自分の使用する空間の刻みを作つてゐるのです。それらを並べるにあたつては、出入口と、窓或は障子と、押入の都合などで一旦決定されて、これでよからうと言つて汗を拭いて新たな気持ちで座つて見る、が、次の日になるとどつか多少変更したほうがより好都合だとの発見があり、更らに一週間経つて別の配置の方がより一層具合がいいとなつたりするのです。戸口や、窓や、壁などはそれらの度毎に微笑しますので主人公はいつも十分な共鳴者を得たと信ずるのです。〔中略〕
 でも一旦かくして納つたなりで安定し固定すればその主人公の運命はめでたしめでたしなのですが、病的?になりますと、これだけの常規のあがきばかりでは満足するわけに行かなくなるやうです。ぢれったさから更らに移転が促されて、空間の静さに抗争するのであります。抗争する心から工夫力が伸び、くだらぬ類の好奇心などが手伝つて、またまた机の方角の変更が要求され、新たに歓迎してくれると考えられる方向へ顔を向けなければ済まなくなるのであります。〔中略〕
 然し部屋の中の移転はまだ罪のない行為であります。他の部屋へ引越したくなる誘ひが次ぎに開発される順序になります。〔中略〕突発的にそんな欲が走り出ますと、荷物の厄介なことなどは問題でありません。その欲望、欲から出る勇気の前には何もなくなつてしまひます。而してすぐそこへ移つて新たなる限定空間のうちに自分自身の日常居住の場面を更らに新たに展開して行くのであります。

 居心地の良い暮らしのための都市を計画し建築やインテリアをデザインする営みを芸術活動というのならば、与えられた間取りという条件のなかで今ある持ち物を配置し、さらには住む場所を変えて居心地を良くしていく営みもまた生活のなかの芸術活動になります。
 今和次郎は民家研究や考現学で間取りや持ち物とその配置、住んでいる人が歩くルートや敷居をまたいだ回数を調査して記録しています。これらの調査について、今和次郎は無目的に調べていたのだという人がいますが、それはまったくの誤解でしょう。持ち物や間取りの調査記録を実施した目的には、良い建築を設計するためには住む人の生活の実態について知らなければならないとする造形論がありました。
 そしてまた、これらの調査記録を行った背景として、頻繁に引越しを繰り返す生活を送っていたことも考慮に入れる必要があるのではないでしょうか。
 つまり、今和次郎は他人の家の間取りと持ち物を調査し記録しながら、自分の家については引越しを繰り返して間取りと持ち物を更新していたのです。そして郊外に家を構えて落ち着いてからは、今度は家の増築を繰り返し、植物の成長とともに庭をつくっていくガーデニング生活を楽しむようになります。たえず住まいを少しずつ作り変えていくのです。それは民家を調査する際に着目してきた住民の「工夫力」を、自らも実践する営みでした。
 居心地の良い住まいを求めて引越しを繰り返していた今和次郎は、暮らしの観察者であるととも実験者でもありました。今回の発表では、今和次郎が美しく楽しい住まいをどのように考えていたのかについて、調査する場であり、また生活する場でもあった郊外に焦点を合わせてお話しします。